●新しい漫画家さんと組む場合に決め手となる要素は?
うん、あるよ。
映像が浮くかどうか、シーンが…。
絵を見て、この絵で、俺、シーンが出来るかなっていうか…、
例えば、三浦健太郎の絵を見たときに、
バーンと、広々とした荒野が浮くな、
そこに立たせてみたいなみたいな、
そうするとなんとなく形になるから…。
例えば、(水野)トビオちゃんとかと組むと、
この味のある阿呆をやっぱり競馬場かなーとかね、
そうするとシーンが浮いてくる。
だから一番辛いのは、どう考えてもシーンが
浮かばないなぁっていうのはもう…、
何も触発されないから。
だから一番困るのは、池上先生と同じような絵を描く人ね。
前と同じような話になっちゃうけど、
池上先生と似たような絵になっちゃうと、
そうするとなんも面白くないのね。
そうするとやっぱり違うタイプの絵でしょ。
だから、こっちが触発されるシーンとか、
場面が映像で出てくる作家だとやってもいいかなってなるよね。
なんでも書けって言われりゃ書くけど、
ただシーンが出来ないストーリー書いても、
つまんないっていうか、いずれ乗り上げちゃう、どっかにね。
暗礁に乗り上げてしまうのが見えてるから…、
やっぱり新鮮さってことだろうな。
新しいもの書きたいから、
新しい映像、新しいイメージが湧いてくる作家だったら、
そりゃあ、やっぱりやってみようかなってなるよ。
いろいろ…、例えば夢の作家達と読み切り、
ときどき、やらせてもらってるわけでしょ。
きうちかずひろ君だとか、安達哲君だとか、
で、ちば(てつや)先生でしょ。
あと、能條純一さん、それからあだち充さん?
その…、一時期を築いたとか…、
ちば先生なんか大作家でしょ。
その人の原作をやるっていうのは、
すごい緊張だし、プレッシャーだし、
何を描こうか、どういう絵を浮かべようかとか…、
最近はそういうことでしか、
モチベーションってのが上がらなかったりするんでね。
まあ、連載とかは別にして、読み切りなんかだと、
やってみたいとか、やんなきゃとか、
自分の中の…武論尊なり、史村翔という原作者の歴史として、
とりあえず、ここまでやれてるとか、こんな先生と組めるんだとか、
そういう自分の歴史の中に、
作家としての歴史をそこまで築いたっていうか、作ったっていうか、
そういう喜びみたいなところでやってるからね…。
まぁ、簡単に言ってしまうと、
原作者として、よくここまでこれたなっていう、
ある種、自己満足だよね。
だからその位置に来れたってことがうれしいし…、
その先生達がやってくれるちゅーだけでね…、
すごいことだから(しみじみと)。
そりゃあもう、感謝、感謝ですわ。
(そういう作家さん達となら他でも?)
あるだろうね、それは。
でも結局、同じ3社内になっちゃうのは、
編集があっちこっちに異動するでしょ。
その度に頼まれるでしょ、担当異動したから
お祝いとか…、おみやげみたいな形で…、
だから断れないってのがあるからね。
どうしても、同じ社内で仕事が広がって行っちゃうんだよね。
なかなか他へは時間がないもんな。
でも、今そんなに力ないよ、俺。
現実問題として、いっぱいいっぱい。
今はプロデュースしているほうが楽しいんだ。
もう自分でシーン作るの、そんなに出来なくなってるよ、
現実問題としてね。
俺の中で新鮮なものってなんなんだろうって…、
また、ちょっと牧場に逃げた状態の形みたいなのがあって、
どっかでもう1回漫画切って、精神的なものと肉体的なもの、
どっかで作り直さないとダメなのかなって気もあるね、
正直言って。
池上先生以外でも当てたいもんな、現実問題としてな…。
原作者って、いろいろなこと言ってるけど…、
最終的にイニシアチブ取ってるのは漫画家だから。
絵描きさんの能力がないと…、才能がないとね、
それはもう本当に作品にならない。
やっぱりそうだな、フーッと振り返ってみると、
原作の力っていうことよりも…、俺と組んで当たった場合ね、
漫画家さん自体の才能のほうがすごいなってのは現実にあるよ。
だから、最初に原作者ありきとかじゃなくって、
やっぱりねー、相当な部分は漫画家さんの才能に負うところがある。
結局、そこそこの原作書いてたって、
絵描きさんが構成力あって、才能があれば、
原作いらなくたって描いちゃうわけだからね。
アイデアさえもらえばね。
だから、一字一句変えるな、なんて言えないよ。
一字一句変えるな、なんて原作者もいるって聞きますけど、
すごいなって思うよ。
それだけ自信があるのはすごいよな。
※本文中( )内の表記、および[編集メモ]漫画街。氏名敬称略。
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(第9回 終)
★★武論尊先生のビッグコミックスペリオール新連載準備のため、次回は5月頃に登場の予定です。
しばらくお待ちください
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