【質問と解答】

Q:週刊少年サンデー、マガジン、ジャンプなどの有名な雑誌でも毎年部数が落ちていて、10年もしないうちに随分減りました。このまま行くと10〜20年後の漫画界は大丈夫なんでしょうか? 漫画を描く場がなくなったりしませんか? さらに40〜50年も経てば完全に・・・って、そんな未来の心配をしてもしかたないですかね〜。部数ってなぜ落ちるのですか? 確かに90年代前半位までと比べて少年誌は面白くなくなったと思います。やはり良い作品が揃わなければ部数も伸びませんか?

A:漫画誌の部数漸減の要因は、ひとつには生活様式の変容とそこからもたらされる嗜好の多様化、もうひとつは少子化だと考えます。前者は主にゲームと携帯電話の影響が大きいでしょう。家庭用ゲーム機の先駆けとなった任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されたのが1983年、今から25年前のことです。この時から徐々に家庭から漫画を読む時間をゲームに奪われていきました。そして、携帯ゲーム機の普及は通勤・通学の時間すらゲームに奪われ、今や首都圏の電車内で漫画雑誌を読む姿より携帯ゲーム機に向かう乗客 のほうが目立ちます。また、携帯電話は今から14年前の1994年の制度改定による初期費用と料金の大幅な値下げにより、中高生にまで急速に普及してきました。こうして、かつて漫画を読むのに費やされていた時間とお金は、ゲーム と携帯に侵食されるようになりました。生活様式の変容による娯楽の多様化 (携帯、特に携帯メールも娯楽だと考えます)は、かつて学生の共通の話題であった漫画雑誌の地位を相対的に引き下げていきました。それまでは、「メジャー漫画雑誌を読んでいないと周囲の話題について行けない」「漫画の他に娯楽の選択肢がない」という状態だったのが、「読んでも読まなくてもいい。他にも話題はある」「漫画も面白いけど他にも面白いこといっぱいあるじゃないか」となったわけです。多数の娯楽の選択肢のひとつにすぎなくなった漫画 は、「共通の話題」の地位から転落することで、個人の嗜好という意味合いを強めていきます。ここで起こるのが、漫画自体の嗜好の多様化です。万人向けの総合漫画誌に対し、読者層を絞り込んだ専門漫画誌が次々と生まれました。 その結果、漫画雑誌の総部数こそ減りましたが、今は20〜30年前に比べ漫画誌の数は恐ろしく増え、ターゲットも細分化しています。この漫画読者の嗜好の多様化はメジャー漫画誌の部数漸減のひとつの要因です。そして、少子化の影響については、言うまでもないでしょう。

 さて、昔の少年誌のほうが面白かったと言いますが、はたして本当にそうでしょうか。老人の「昔はよかった」式で、印象が美化されていませんか。感受性の強い年頃に読んだ作品は、大人になってから読む作品よりも強く心に刻ま れるものです。また、今まで記憶に残っている作品は、同時代の多数の作品から選ばれたごく一部のヒット作であることも忘れてはなりません。むしろ、漫画誌の内容は総体としては進化していると思います。昔より話題作の分散と作品の消費速度が速いために目立たないだけで、個々の単行本ではヒット作は昔以上に多数輩出しています。漫画雑誌の部数漸減については、生活様式の変容と少子化からきている以上、かつての漫画黄金時代の部数に回復することはないでしょう。これは、漫画に限らず、他のジャンルの雑誌についても言えることだと考えます。

 ですが、漫画の未来を悲観することはありません。ゲームの原画や設定や商品展開には漫画家や漫画系イラストレーターは不可欠ですし、ゲームのコミカライズなど作品世界を広げるメディアミックスはゲームユーザーもメーカーも望んでいます。また、携帯コンテンツにも視覚的にアピールするイラストやショートコミックは多数取り入れられていますし、本来の漫画の形でも携帯向けオリジナル漫画コンテンツは増えつつあります。ゲームや携帯と対抗するのではなく、共存する形で今後も漫画は残っていくでしょうし、漫画家の需要がな くなるということはありません。それに、先に述べたように漫画に対する思考の多様化に伴って漫画誌の数は昔より増加していますから(創刊誌が多い反面、休刊誌も多いのもまた事実ですが)、漫画家の需要自体は増えています。 また、将来的には「漫画雑誌」という形態自体は衰退するかもしれませんが、 有機ELなどを使用した携帯電話より大画面の携帯メディアでいつでもどこでも手軽に作品ごとにダウンロードして読めるようになれば、創作の形態として定着した漫画は、これからも生活の一部としてありつづけることができるでしょう。


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