集英社・週刊少年ジャンプでデビューした武論尊先生ですが、講談社・週刊少年マガジンではペンネームを新たに史村翔として、その活動の場を拡げることになりました。今回は、その史村翔ペンネームでの初期の連載作品とそれにまつわるさまざまなお話をお聞きいたしました。

(取材日/2003.10.7 写真/茨城県 鹿島神宮にて)

●講談社での最初の作品は?

確か連載の前に、史村翔のデビュー作って、読み切りだったと思うんだよ。
松本零士さんの…、『黒死鳥(デスバード)4444』。
それの原作、松本先生の叩き台みたいな原作。
一生懸命書いたんだけど、松本さんが自由に料理したっていう…。

あの松本さんが俺の原作やってくれたっていうのは、
うれしかったことはうれしかったんだけど…、
胸を張って俺の原作だとは言えないよな、そんなに…。
やっぱり、格負けしてるから。
叩き台でしかなかったというところがあるから。
それはしょうがないよね、新人と組むものは。


【編集メモ】

* 『黒死鳥4444』1973(S48)年 講談社 週刊少年マガジン 29号  漫画/松本零士
  その年、実際にあった領空侵犯事件を元に描いた時事フィクション漫画。


●現在は武論尊作品と史村翔作品にはその作風に違いがありますが、

史村翔で講談社デビューをする際、作風を区別して書こうと考えましたか?
いや、区別しようじゃなくて…、
史村翔というペンネームを考えてくれた担当編集者、
あの人の路線ってのは、絶対“王道”路線でしょ。
だから、(集英社で書いていたような『クライムスイーパー』、
『ピンク!パンチ!雅』)そういうコメディチックなものではなくて、
編集が求めているものを書かなきゃいけないから…。

なんでその編集が俺を講談社に連れてきたんだろう?
集英社だけじゃつまんないだろうからって…、
まだ新人だったからね。

ま…、気に入ったのか、試したのか?
でも、『球剛伝』の読み切りシリーズ書いたときに、
編集自身が、
あっ、こいつ書けるかもしれないって感じで、
シリーズいこう、とりあえず書けるだけ書いていこう
ということだったのよ。
史村さんがどこまで書けるかってね。


●講談社でこういう作品を書きたいというような思いはなかったのですか?

デビュー前から、編集者が書けっていうか、
書けるかどうか、こういうものをやろうって形で…。

そのころに、確か『群竜伝』って作品、
その編集が本宮ひろ志とやってたんだよ。
本宮プロで俺も一緒に、ちょろっとなんか噛んでたね。
そのときに担当が(コイツは)面白いかもしれないってんで、
その延長みたいな形で野球ものでなんかないかってんで、
読み切り形式で『球剛伝』シリーズだっけ?
(第3回目参照)

だから、そのとき書いてる作品は、
その編集好みの起承転結がしっかりした読み物になってるよね。
そのシリーズは、編集がある種合格点くれた作品だと思うよ。

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